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読書をしない若者たちに読書をオススメしていくブログ! いや、ただの雑記か!

続・過去の臨時的任用教員生活について

雑記

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(昨日のつづきです)

 

kotaro-nobuta.hatenadiary.jp

 

 

 

あの日、ぼくが教員を辞めた理由。

 

それは

 

単純に「疲れたから」だ。(え)

 

「こんなやつが教壇に立つなんて、日本は終わってんな」って思うでしょ。

 

すみません!ぼくが未熟だった。

 

しかし、ぼくが教員をやった年は、なんか占い(算命学ってやつ)的にもかなり良くない年だったみたいでさ。(え)

 

いいわけにもならないが、そういう巡り合わせというのはあると思ってる。

 

 

 

今日はぼくが教員をやめようと思った時の話。

 

これから教員をやろうと思ってる人は参考にしてほしい。

 

 

 

昨日の記事で書いた通り、初めての担任を持ったときは希望と不安を両方抱えていた。

 

右も左もわからない中で、学級運営をしていくことになったわけだ。

 

 

 

5月。

 

事件というか事故というか、

 

教室内の手すりに破損が生じ、生徒が知らせてくれた。

 

自然に破損した、というよりは、大きな負荷を与えての破損には見えた。

 

その日の帰りの会で「誰か原因を知ってる人はいますかー?」と聞いてみたところ、特に誰も知ってる様子はない。

 

ぼくは「仕方ないか」として、放課後に教頭に破損の報告と修理の手配の依頼をした。

 

そしたら事態は思わぬ方向へ。

 

「ふざけてぶら下がったりしなければこんな破損にはならない。見逃しちゃだめだ。明日もう一度生徒らに聞きなさい」

 

といったことだ。

 

ぼくは「まじかー」と思いながら、翌日の朝の会で再度生徒らに聞いた。

 

たしか「知ってる人がいたら後ででもいいから先生に教えてほしい」という措置も取ったが、やはりなんの情報も出てこない。

 

それを教頭に報告すれば「そんなわけがない」ということで、

 

今度はまた帰りの会で小さい紙を配り「知ってることがあったら書いてほしい」という措置を取った。

 

ぼく自身、何度もこんなに問いただすのは嫌でしょうがなかった。

 

しかし、ある女生徒Eは「わたしたちを疑ってるんですか?」という声を上げた。

 

…ですよね。

 

そう思うのは当然のことだと思う。

 

しかし、元々ぼくが最初に適切な指導をできなかったが故に、こんな事態を招いたのだ。

 

教頭との意思疎通もよくできていなかった。

 

自業自得だ。

 

 

 

結局、原因は判明しなかった。

 

ぼくと生徒との間に溝が発生しただけの出来事になってしまった。

 

 

 

6月。

 

女生徒Eとの関係は修復せず、他の一部の生徒らともしこりが残ったまま、遠足行事に。

 

この時期は隣のクラスの子らと話しているほうが気が楽だった。

 

人間関係がこじれると、学校に行くのがつらくなってくる。

 

 

 

夏休み。

 

この期間は正直ありがたかった。

 

学級での指導はなく、部活動指導や校内での事務的な仕事がメインなので、ストレスからは解放されていた。

 

 

 

9月。

 

夏休みが明けて2学期に突入すると、定石どおり生徒指導が重くなってくる。

 

そういう意味では自分のクラスは大したことないが、他クラスの生徒を学年全体でフォローしていこうということで、生徒下校後の学年会議が連日のように行われる。

 

会議が終わり、毎日20時を回ってから、翌日の授業準備を始める。

 

教職員の中で最後まで職員室に残ることも多くなり、帰宅は22時や23時。

 

土日は部活動指導。

 

徐々に朝起きるのがつらくなっていく。

 

なお、この月に行われた体育祭は、我がクラスは学年優勝を飾り、すばらしい盛り上がりを見せてくれた。

 

 

 

10月。

 

ついに朝、電話を入れて休むようになってしまった。

 

授業の進度等を加味し、「今日は自習をさせても大丈夫かな」と思える日を選んだ。

 

このころから月に1回くらい休むようになってしまった。

 

 

 

疲れとストレスから、苦しい日々が続いた。

 

11月の合唱祭のクラス練習指導も困難を極めた。

 

全然まとめられなかった。

 

 

 

冬になると一層気分は沈みがちになってゆく。

 

日照時間も関係してくるのだろうか。

 

休むことが増えることはなかったが、

 

帰宅途中、軽自動車を運転しながら「このまま対向車線に突っ込んだら楽になれるかな」なんて考えることも多くなってきた。

 

「死ぬくらいなら辞めたほうがいい」

 

至極まっとうな話だ。

 

自殺はかっこ悪い。

 

親にも申し訳がない。

 

 

 

母親に泣きながら相談したこともあった。

 

母親は「辞めていい」と言ってくれた。

 

けど、なけなしのぼくのプライドが辞めさせなかった。

 

ここで辞めたら、自分の生徒に申し訳がない。

 

また同僚の先生方や、保護者の方々にも迷惑をかけたくなかった。

 

 

 

なんとか気力を保って、3月の終業式までの任務を貫いた。

 

臨時的任用なので、異動は確実なのだが、また一年教員をやる気にはなれなかった。

 

慣れもあるので1年目より2年目の方が楽にはなるだろうとは思ったが、もし同じだけのストレス量を浴びたら今度こそ死ぬと思った。

 

校長にも言われた。

 

「これくらいでしんどいと思っているなら辞めたほうがいいのでは」と。

 

 

 

 

 

それ以来は職を転々としている。

 

バイトしたり、ニートになったり、派遣になったり。

 

そんな日々を送りながらでも、時折思い出してしまうのは、

 

あのころの自分のクラスの子らの顔なんだ。

 

「またやりてぇなぁ」

 

って思い続けている自分がいる。

 

 

 

GTOやルーキーズや金八先生みたいにはなれない。

 

そんなキャラでもない。

 

昨日も書いたけど教員の一番大事な能力は「授業力」だ。

(当時の学年主任の先生が教えてくれた)

 

それをしっかり確立したときに、「影響力のある先生」になっていけるのかなと思う。

 

 

 

これから教員になろうとしてる人は、ぜひ専門教科の知識を充実させておくといいと思います。

 

 

 

おれも勉強、やり直してみるかなぁ。

 

 

 

 

 

そんな思い出話でした。

 

 

 

 

おわり!