こた通信!

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こた通信!

アラサー男子の読書ブログ。

誰かを否定する生き方はしたくないよなあ、と思いながら勢いに任せて書いたやつ

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誰かを否定しながら生きていくのはやめようと思うのだ。
 
ついつい誰かを否定しながら生きてしまう。
 
自分が正しいと思いたい、
 
自分が強いと思いたい。
 
自分を肯定したいし、認められたいという欲求がそうさせるんだと思う。
 
 
 
 
 

いじめ

 
誰かをいじめるという行為は、その人を否定する行為になる場合がある。
 
小学校〜高校くらいまでの時期は同級生や下級生をいじめてしまうことがある。
 
というか、ぼくの時はあった。
 
小学校4年生くらいからクラスの誰かをいじめ始め、
 
時期によってターゲットは変わっていき、
 
ぼく自身もいじめのターゲットにされたこともある。
 
 
 
いじめている側はそんなに悪いことをしている意識もない。
 
その子を「否定する」だなんて、たいそれたことを考えているわけでもない。
 
なんとなくやっているだけなのだ。
 
その場の空気感に流されて、なんとなくいじめてしまうのだ。
 
 
 
いじめられている側は自分に悪いとこがあったかなと、自分に原因を探す。
 
そこで自分に原因が見つかる場合もあるだろうし、
 
見つからない場合もあるだろう。(なぜいじめられなきゃいけないのか見出せない)
 
 
 
しかし、いずれの場合も自分ではいじめは止められない。
 
1人vs多数では力が及ばないし、
 
自分の悪いところを直そうとしても、すでに出来上がってしまった「いじめの空気感」は拭うことができないのだ。
 
 
 
 
 

「バカと言う方がバカ」

 
話が逸れたので戻したいと思うが、
 
人をいじめたり否定するのは誰も幸せになれない生き方だと思うんだ。
 
子供の喧嘩で
 
「バカと言う方がバカなんだよ!」
 
とよく聞くと思うが、実は結構深い言葉だと思う。
 
 
 
とは言え、この主張をしている時点でぼくは
 
「他人をいじめる人」「他人を否定する人」を否定しているわけだが。
 
 
 
いじめを容認するわけではないが、そうしてしまう人にもなるべく理解を示したいとも思う。
 
そりゃいじめはダメなんだよ?
 
けど、いじめてしまう人も自分なりの「正義」を持っているはずだし、
 
そこに対して真摯に向き合っていけると一番いいと思うのだ。
 
 
 
難しいけどね。
 
 
 
 
 

自分がされて嫌なことは他人にしない

 
母からの教えだが、これに尽きると思う。
 
自分が悪口を言われるのが嫌なら、他人にも言わない。
 
怒られるのが嫌なら、他人にも怒らない。
 
ネガコメ書かれるのが嫌なら、他人にも書かない。
 
 
 
甘っちょろい考え方かもしれないけど、ぼくなりの大きな価値観の土台の一部がコレである。
 
母親の教えは偉大だ。
 
 
 
 
 

いかに許せるか

 
例えば友達がSNSで「パチンコ勝った!やったー!」って書いていたとしよう。
 
ぶっちゃけ心の中では「あほくさ」って思うんだ。
 
けどそれを言葉にして相手に投げかけちゃダメだ。
 
自分が相手の立場だったら嫌な気持ちにしかならないから。
 
 
 
仮にパチンコを打つという行為が無意味の極みというものだとしよう。
 
相手との関係性にもよるだろうが、基本的にはやっぱり否定せずにいたいと思う。
 
否定はせずに、何か別のアプローチでパチンコから目を背けさせてやりたい。
 
※実際には程度を抑えて嗜むくらいのものなら構わないと思う。(←ギャンブル全般)
 
 
 
相手が間違ったことをしていても、いかに大きな心で許してやれるか、だ。
 
そりゃ法に触れるような間違いをしていたら直ちに正すべきだけど、
 
そうでないなら、相手が気づくまで見守ってやるくらいの気持ちが良いと思っている。
 
「おバカさんだなあ」くらいに思って、寛容に受け止めてあげられる人間力を目指したい。
 
 
 
 
 
おわり!
 
 
「自分が絶対正しい!」と思っている人に振り回されない方法

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